霧島市広瀬に伝わります「広瀬道化踊り」について、保存会会長の隈元喜子様にお聞きすることが出来ました。
 「広瀬道化踊り」は、大穴持神社(おおあなもちじんしゃ)に奉納され、神社の御神幸祭・敬老会・祝賀会・六月灯・夏祭り・イベント等で踊っています。
「道化(どけ)踊り」の由来は、広瀬(旧小村)で「お仮屋」、今の仮屋村に宿泊された殿様一行を慰めるために、また新田開発のお礼も兼ねて土地の人々によって踊られたものであり、おどけた踊り「道化踊り」、とか「道中踊り」であったと言い伝えられています。
歌い継がれてきた歌詞の内容から 江戸時代1850年に琉球人江戸参府(恩謝使)九十九名を伴った参勤交代途上の薩摩藩 二十七代藩主島津斉興一行を慰労した踊りに始まったと考えられます。この頃、薩摩藩による「小村新田」の干拓工事も完成しています。
 広瀬道化踊りは、手甲や脚絆をつけて道中を進みながら踊る「道楽(みちがく)」(会場へ繰り込むときの踊り)・「五十三次」・伊勢音頭(いせもんど)」・「笠踊り」の四つがあり、道開きのホテ振り役を先頭に多くの踊り手がこれに続いて踊りました。
 広瀬地区では、数十年前から道化踊りがすっかり廃れてしまいました。私達は、街づくりの一環として、この「道化踊り」を復活させ郷土芸能として伝承していこうと計画し、高齢者の方々を訪ね、記憶をたどってもらいながら1年がかりで完成させ、平成17年(2005年)に再び復活させることが出来ました。
現在、人手不足もあり国分西小学校の4年生にも教えています。また、道化踊りは隣の集落の下井地区でも踊られています。(踊りの内容は違います)
 (写真は「広瀬道化踊り」と保存会の皆さん、大穴持神社です)
                                 

扇寿堂
                                 senjudou

   
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