姶良郡姶良町下名(しもみょう)集落に伝わります「下名疱瘡踊り」について、保存会会長の上加世田洋子様にお聞きすることが出来ました。
 「下名疱瘡踊り」は、今から三百年位前の宝永年間に山田の池田氏が鹿児島から 俗称「すてな」という音曲の女師匠を自宅に招き寄宿させて教えられたと云われています。
 「疱瘡踊り」は、疱瘡が流行した時に山田・上名の黒島神社や帖佐米山の米山薬師に踊って行き、疱瘡の時のみ出る乳白色の疱瘡水を頂いて飲み疱瘡が退散するよう祈願したものです。
 この踊りは、道楽・出端・すてな節(「すてな」が教えた音曲の意味)・道楽、となり入退場には道楽を、踊りの最高潮にはすてな節を踊っていましたが、その後(鹿児島市甲突川に五大石橋が作られた、弘化三年・1846年頃から) すてな節の次に薩摩新橋が加えられました。
 明治の頃までは5〜6才の女の子から婦人まで踊ったのですが、今は婦人だけで踊っています。しかし、疱瘡退散の為に踊ったのは明治十九年三月の疱瘡流行までで、これ以後は御大典記念や学校・役場・橋等の落成など、村をあげての大きな行事の時に踊るようになり、現在は祝賀会・秋祭や9月23日のかかし祭等に踊られています。
 今回、資料とお話をして頂きました上加世田さんには、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
 (写真は「下名疱瘡踊り」と保存会の皆さんです)
                        

扇寿堂
                       senjudou

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