薩摩川内市樋脇町倉野集落に伝わります「倉野奴踊り」について、倉野コミニティーセンターの石原様にお聞きすることが出来ました。
 言い伝えによると、昔 倉野の一人の村人が川内川(せんだいがわ)の稲穂渕(川内川が大きく湾曲して、絶壁の下が深い渕になっている)で釣りをしていると、尊い方と思われる人が稲穂に乗って川を下って来られた。ところが、この渕にさしかかると、どうしたはずみか渕の渦に巻き込まれて転覆し危うくなった。村人はとっさに川に飛び込んで、この方を救い上げた。
 この方は、危ういところを助けたお礼として、稲穂の一粒を村人に与え、「この籾の種子を大事に育てたら、きっと村は豊かになるであろう」と言い残して、また稲穂に乗りゆらりゆらりと川を下って行かれた。
 この籾を耕作すると、それはそれはみごとな稲となり大きな穂が稔った。
 後年この稲穂の主こそ、新田神社に鎮まりまします瓊々杵尊(ニニギノミコト)であらせられるであろうと、絶壁の上に神社を建て、瓊々杵尊を戴き、五穀の神として尊崇しました。これが、稲穂神社です。
 稲の種子を恵まれた神意への謝恩を年の豊作を祈願する意味で、毎年2月20日には団子祭を行い、田造りの催しを奉納します。そして、毎年入梅に近い土・日曜日に、土曜日は「奴踊り」を稲穂神社に奉納し、日曜日には早朝、新田神社の御田植祭に第一番に「奴踊り」を奉納して、村人の安全と豊作を祈ります。長い竿に細長い竹を付けて振る「奴振」は魔除の意味といわれています。
 踊り子は、すげ笠・紺の半天・黒帯・白ずぼん・地下足袋・ソロバンタオルの服装で、ハヤシにあわせて勇壮に踊りまわります。
 踊り道具は、コサン竹を九尺程度に切り上部に取り付けた装飾は一本杉(1名)・まとい(2名)・月の輪(2名)・風車(2名)とそれぞれ異なります。総て竹ひご・薄とたん・色紙等であでやかに飾り付けをします。
 今回、お話をして頂きました石原さんには、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
 (写真は「倉野奴踊り」と稲穂神社です)
                    

扇寿堂 
                   senjudou

 
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