大里虫追い踊り (鹿児島県いちき串木野市)
いちき串木野市大里地区に伝わります「大里虫追い踊り」(市指定無形民俗文化財)について、保存会会長の溜池邦雄様にお聞きすることが出来ました。
「大里虫追い踊り」は、毎年秋分の日の9月23日に大里地区の十数箇所の奉納場所で踊られます。特に思案橋奉納場所から払山踊場までは、楽を鳴らしながら田んぼのあぜ道を通って「実盛塚」のそばを通り奉納場所である払山踊場まで向かいます。払山踊場では、鶴ヶ岡八幡神社の方向に向かって踊られます。その他、様々なところからの要請があり イベントや催し物などでも踊られています。
「大里虫追い踊り」の由来は、源平時代の武将 斉藤別当実盛が晩年、平維盛に仕え源義仲を討つ戦で乗っていた馬が不運にも稲の切り株につまずき落馬したところを敵の武将 手塚光盛に討たれました。その実盛の怨霊が稲虫となって稲に害を及ぼすようになったと云われいます。その虫の名を「実盛」と言い、その虫を追い払う行事を「実盛送り」と言い 日本各地に伝わっています。市来地域の水田「大里たんぼ」に「上(かした)ン実盛ドン」下(しい)実盛ドン」と呼ばれる塚があり、この大里の「虫追い踊り」も上・下の実盛塚への奉納と「大里たんぼ」の豊作を祈願して踊り継がれてきたと云われています。しかしながら、大里虫追い踊りが、いつから始まったかは定かではありません。
戦後長く途絶えていましたが、有志によって昭和38年に復活され、地元若者でお盆の期間に踊られてきました。
虫追い踊りは、踊り手は太鼓と鉦を持ち、太鼓は白ズボンにひざから下にはシュロの皮を付け、白の鉢巻を締め太鼓を胸に抱え長い矢旗を背負います。鉦は浴衣がけに白足袋・草履を履き、頭に花笠をかぶります。
溜池会長のお話では、「近年後継者不足により存続を危惧した時期もありましたが、地元の若者と市来農高生及び県内各地からの農高OBの応援をもらいながら、今は 下は幼稚園生から上は80代までと幅広い方々が参加してくれて、実りの秋を迎える秋分の日に踊り継がれ今日に至っています」とのことでした。
今回、お話して頂きました溜池会長には、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
(写真は「大里虫追い踊り」と払山踊場へ向かう途中・「実盛塚」です)
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