南さつま市加世田の小松原に伝わります「小松原道楽踊」について、保存会副会長の鮫島 格様にお聞きすることが出来ました。
 「小松原道楽(みちらく)踊」は、以前は旧紀元節の2月11日、お伊勢講の日に踊られていましたが、現在は八幡神社に奉納して踊られ、開催日は決まっていません。市からの要請・集落の夏祭り・祝い事・文化祭などで踊られることが多くなりました。地元では、小松原道楽踊のことを「みっちやっ」と呼ばれています。
「小松原道楽踊」の由来は、古老の伝えるところを総合してみると、日本古来の風習であった伊勢参りが起源で、この踊りの始まりは400年くらい前からと云われています。
以前は、加世田一帯では旧紀元節の2月11日には、お伊勢講といって各集落 各様のお祭りが行われてきました。小松原のお伊勢講は独特で青年団を年齢別に 脇・客・籤と三段にして三年目に一度あって、三つの任務が一つずつ回ってくるようになっています。脇年齢の者は料理その他準備役、客はただのお客役、籤はその年の中心で、一つの当り籤を一つずつ取り、引き当てた者が氏神・恵比寿宮などをイセコー(オイセコ)のマメコ(マイロウコ)のエイエイボーのかけ声勇ましく回り、集落の安全を祈り その当り籤の者が、一年間お伊勢講様を自宅でお祭りする風習が現存しています。
お伊勢参りは、日本古来の風習でありますが、薩摩の南端からのお参りは大変なことであったと想像できます。それで、この祭りは集落の青年を毎年一人お参りさせる選出の方法が残り、いつの世代からか、一つの行事として今日に至っています。
 小松原道楽踊は、伊勢参りに選出された代表者が出発の際、又は 帰りの途中までの送り迎えの時に踊ったものと云われています。送るときは長い道中の無事を願い、帰国の時は伊勢神宮の荘厳な聖域ににふれ、無事神符をもらって帰ってきた代表者を心から喜ぶ、昔の素朴な村民の感情を表したものです。
 小松原道楽踊には、唄がありません。おおよそ、踊りには唄がつきものです。この踊りは、三味線・太鼓・鼓・鉦の独特なリズムにのって、先頭の奴姿に長柄の箒を持った青年が道を開きつつ進み、次に女装の青年が手に日の丸の扇を 又は呼び竹を鳴らしながら「ハーイヤハー」のはやしをかけつつ踊り出してきます。この姿は、日本古来の美しさを見出すことができるようです。
 最後に、鮫島副会長のお話では 人手不足もありますが、この前は踊りが好きだという小学生の参加があり、今後も若い方々の参加が増えていってくれればとのことでした。
 今回、お話して頂きました鮫島さんには、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
 (写真は「小松原道楽踊」と八幡神社です)
                                 

扇寿堂
                                senjudou

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