曽於市財部町川内(かわち)集落に伝わります「俵おどり」(市指定無形民俗文化財)について、保存会(川内俵おどり保存会)会長の亀元光夫様にお聞きすることができました。
 「俵おどり」は島津斉彬公の時代の嘉永3年(1850年)大暴風雨のため、五穀が実らず 翌4年には米価が高騰して士民の生活が困窮しました。そこで斉彬公は御蔵米4千石を払い下げられました。
それから、常平倉を実施して毎年一定量を藩で買い上げて貯蔵し非常時に備えられました。また、嘉永5年8月には、藩の重要政策九ヶ条の覚書のへき頭に「農は国の根幹に候…」との一文があり、日々勧農のことを掲げられています。公は士民の生活安定を第一義とせられ、殊に農業の発展に留意し国力の基礎を確立しようとされました。士民は公の考えにそい、一意専心興農に尽力して実りの豊かな秋を祝福したと云われています。「俵おどり」は公の勧農政策の考えにそい、農家二才衆の心身強化・団結・親和をはかると共に、島津藩風の美点を取り入れて、流汗りんりたる踊りで農作の苦労を忘れ豊作を神に奉納したことから、この踊りが生まれてと伝えられています。
 「俵おどり」が、川内集落に起こったのは昭和20年の終戦の年で、特に青少年の道義の頽廃を憂慮し、また極度な食料難から食料増産の意欲を促すため、川内集落の青年達に躍らせたことから始まっています。
 現在は、集落の青年達が減少したため、婦人を中心に受け継がれています。最近では、財部(たからべ)小学校5年生へ継承されています。「俵おどり」は財部温泉祭り・町民祭などで踊られています。
 この度は、詳しくお話頂きました、亀元会長には本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
 (写真は、「俵おどり」です。少しピントがボケてすみません)
                     

扇寿堂
                    senjudou

 
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