指宿市中川集落に伝わります「ごちょう踊り」(市指定無形民俗文化財)について保存会会長の西中川 惠様にいろいろお聞きすることができました。
 南九州には太鼓踊りは多いけれども指宿市では1例だけ見られます。それも太鼓踊りというには太鼓の数が少なく、むしろ鉦の数が多いという「ごちょう踊り」がそれであります。
 この踊りは昔、玉利・新西方・小牧・岩本地区にもありましたが、今は中川地区だけ伝承されています。
 毎年1月1日に高祖神社(たかす神社)に奉納して行われます。踊りのなかでは、「入れ鼓」という女装した者が若い男性に棒で尻をつつかれる光景があります。
 平成15年1月1日に出ました「ふるさと探訪(9)」には「ごちょう踊り」について以下のような解説がありました。
 中川の西川路 藤市氏(明治31年生まれ)によりますと、氏は昭和6年に中川の高祖神社の改築記念と揖宿神社の春のハマデバイの日に踊り、戦後は昭和52年にまた復活し現在まで受け継がれ、毎年元旦に高祖神社で奉納されております。
 楽器と配役は、鉦が親鉦・子鉦・ソゴ(小さい鉦)と太鼓は大きな締め太鼓と入り鼓(小太鼓)、配役としては他に鬼神面を被った鬼神が4人つき、締め太鼓の頭には3本の矢旗で真中は槍型と両脇は刀型、入り鼓の服装は着物を着て顔を見せないのが特色で女装するのは、巫女姿を表すものでしょう。かつて薩摩の祭礼に必ずいた巫女の内侍を思わせます。薩摩社会の風土性が芸能にも残っています。
 服装が派手で重厚で振りも大きいという指宿の芸風を反映しております。なぜ、ごちょう踊り(強張踊)と言うか‥「国分郷土誌」によりますと、文禄4年(1599年)12代島津義久が富隈城に移った時の祝いに農民が踊った、それを見て義久が「強張な踊だ」と言ったとか、関が原の合戦戦後の気分を慰めるため踊ると、殿は「強張々々」と叫んだのにちなむといわれております。
 今回は、会長の西中川さんに詳しくお話をお伺いできました。本当にお忙しいなか、ありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
 (写真は「ごちょう踊り」と保存会の皆さん、高祖神社です)

扇寿堂
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