この度は、先日当店にて新しく衣装や扇子など揃えていただきました「如竹踊り」(鹿児島県屋久町)について保存会会長の泊伝三郎様より詳しい資料と写真を送って頂きました。そして、その如竹踊りが奉納された記事が2007年7月15日(日)付南日本新聞にも掲載されました。少しでもお役に立てたらありがたいです。
 この「如竹踊り」(じょちくおどり)は、屋久聖人と称される屋久島が生んだ偉人・泊 如竹の遺徳をしのび、安房村の住民が19歳から41歳の男子全員で340有余年にわたり翁の命日に踊り伝えてきたものであります。終戦後、一時とだえましたが昭和41年保存会が結成され継承されています。
 泊 如竹という人は、1570年安房(あんぼう)の船大工の子として生まれました。幼くして入寺し、長じて法華の教えを学ぶため京都の本能寺に入りました。後に、藤堂高虎、琉球王尚豊、薩摩19代藩主島津光久に仕え、政治・教育・文化・外交の顧問として活躍しました。愛郷心が強く、高齢にて職を辞して郷里に帰り島民のために、貧民の救済・殖産・水路の開設・島民の人倫教育など多岐にわたって尽力し、1655年86歳にて永眠しました。島民は、如竹を神様のようにあがめ敬い、没後は祀廟を建立し遺徳をしのびました。
 この踊りは、浴衣の上に紋付裃・袴を着け、腰に刀を差し足には白足袋といういでたちで右手に扇子を持って踊ります。唄を中心に小鼓・鉦の演奏に合わせて踊りますが唄の節ごとに踊りの様子が少しずつ変わっていくのが特徴です。
 かつては19歳から41歳までの地区居住者全員が踊っていましたが、過疎化により若い世代が島を離れ少なくなったため、昭和41年如竹踊りの経験者を集め同好者を持って保存会を結成し、如竹翁の命日旧暦5月25日には毎年如竹廟に奉納しています。保存会員には、高齢者が多く若い人の入会を勧めています。
 今回は、保存会会長の泊様にはお手数をおかけしました。本当にありがとうございました。今後とも、何かお役に立ちますように頑張ります。宜しくお願いいたします。
(写真は、新聞記事と如竹踊りです)
                        

扇寿堂
                       senjudou

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