日置市吹上町永吉地区に伝わります「永吉太鼓踊」について、永吉地区公民館長の下萩昌隆様にお聞きすることが出来ました。
 「永吉太鼓踊」は、3年に一度、旧暦7月25日に吹上海岸で潮浜ののち久多島神社に奉納されてから永吉地区の各集落に披露して廻っています。昔は諏訪神社に豊作を祈願するため奉納されていましたが、現在の下草田集落と浜田集落の中間の畑地、諏訪原にあった諏訪神社は、久多島神社(永吉に一つ残った神社)に合祀されました。
 由来については、実際のところ良く分かりませんが、平成17年に開催された時の保存会長 恒吉英治氏が「永吉太鼓踊」について纏められてる中に、由来について書かれた文がありますので、以下原文のまま一部抜粋して紹介します。尚、この文は 増田逸彦氏(元 吹上町文化財委員)と川畑義男氏(元 草田太鼓踊保存会会長)のお二人が、昭和50年代に書かれたものです。
 「一説に太鼓踊りは、豊臣秀吉が今から約380年ほど以前、朝鮮侵行を行い、戦勝帰国した島津義弘公を祝福するために始められたものと伝えられています。しかし決してそのような歴史の浅いものとは考えられないのです。私達の知っている過去に新しい踊りが始まった事があるでしょうか。日清戦争、日露戦争そのほか祝賀の行事は多くありましたが、今までにない全く新しい踊りを急に作り出し、それを続けて行く事は容易な事ではないはずです。もし太鼓踊りが島津氏の朝鮮戦勝を祝賀すること何々等との関係があるとすれば、其れはこれまでも細々ではあったかもしれないがずっと続けて行われて居たものを祝賀のために盛大に披露したということでしょう。
 このように太鼓踊りの始まりはそれがはっきりしない程古いものと考えられますが、踊り歌にある「高橋殿」は今から約1300年位前、田布施の高橋に居住した「従三位太宰大弐蔵人頭」の事と思われます。その頃薩摩に住んだ「隼人」は舞や歌謡が上手で朝廷に召し出されたと「続日本記」等に見えています。あるいは太鼓踊りも其の踊りの一つであったかも知れません。」
 そして、最後に「この太鼓踊りが今後子々孫々に至るまで継承されていくならば、私達永吉に生まれた者にとって非常に幸せな事であり、又継承して行く事が現在の私達の義務であります。大方のご支援を願ってやみません。」と結ばれています。
 尚、多久島神社は、吹上浜沖にある多久島を眺める砂丘の上にあります。
 今回、お話をして頂きました下萩館長には、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
 (写真は「永吉太鼓踊」と久多島神社と久多島です)
                            

扇寿堂
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