いちき串木野市荒川集落に伝わります「びょうびょう祭り」について、保存会の満薗耕司様にお聞きすることが出来ました。
 「びょうびょう祭り」は、荒川住民の菩提寺であった松之尾神社(昭和42年に南方神社と合祀)に古くから伝わります春の祭り行事であり、旧暦の2月6日に行われていました。昭和35年頃から一時中断しましたが、40年ぶりに平成12年に復活しています。
 「びょうびょう祭り」の由来は、農業の守り神である「山神」を崇拝する当時の農民の中から生まれたものと思われ、のち鎌倉時代の初期(約800年前) 串木野領主「串木野三郎忠道」との領地争いに敗れた荒川領主の「荒川太郎種房」一族の怨霊を鎮める鎮魂の祭りとして伝えられてきたものと推察され、いつしか荒川の山里に暮らす人々の安泰と五穀豊穣を祈願する素朴な田園劇になったと思われます。
 びょうびょう祭りは、主人(父親)(てちょ)が息子(太郎)に稲作の手順や牛(びょうびょう)の使い方を面白おかしく教える寸劇です。
 祭りに集まった観衆を若い青年たちが、カギのついた椎の木しばで追い回し清め、田んぼに見立てた境内で神官の唱える言葉が始まります・・・。
 「上とう播きが一千石、中とう播きが一千石、下とう播きが一千石、打って通せや御田人(みとんどう)」
 青年たちが「かぎしば」を引き合って田起こし(田打ち)をする。水が引き入れられた田んぼでは、あばれる牛をだましながら「てちょ」と「太郎」のユーモラスな掛け合いのもと、種まきの準備が行われていきます。そして、種まきが始まります。「上の玉田が一千丈播き、中の玉田が一千丈播き、下の玉田が一千丈播き、合わせて三千丈、ホウ・シッポウ」・・・。
 最後にこの様なお言葉がありました。「何処でも、郷土芸能・文化の継承は難しくなっているが、このびょうびょう祭りは、物より心の豊かさが問われる時代となった今、郷土に残る人たちによって細々とでも伝え残したい行事であります。」
 今回、お話して頂きました満薗さんには、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
 (写真は「びょうびょう祭り」と南方神社です)
                              
                              

扇寿堂 
                             senjudou

 
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