薩摩川内市入来町浦之名山下集落に伝わります「山下太鼓踊り」(市指定無形民俗文化財)について、保存会会長の末広義武様にお聞きすることが出来ました。
 毎年、8月28日の前の日曜日に 近くの諏訪神社に奉納されて踊られます。
 「山下太鼓踊り」のそもそもの由来は、慶長三年九月泗川の戦いで島津義弘公は明の大軍を破り、大いに功を立てて凱旋しました。しかし、ときに秀吉すでに亡く、天下の実権は徳川家康に移っていきました。そして、家康の軍門に日本国中の諸侯は帰伏しました。島津義弘公も江戸に伺向した折、江戸では疫病コレラが大流行し、あらゆる修法も効き目なく市民は戦々恐々たる有様でした。このとき、たまたま駿河の弥仏踊り(念仏踊り)が市中を練り歩いたところ、さすがに猛威をふるった疫病も下火になって終息しました。これをみた義弘公は、その功徳に驚くとともに、朝鮮の凱旋記念と併せて藩内に踊りを實行させるよう命じました。 公は家臣に、この踊りの服装・鳴物・踊り方は土地にふさわしく拘束せず計らったらしく藩内各地に異なる踊りを見られるのでうなずけます。 入来院家においても士族、平民に悪疫退散・五穀豊穣・住民の士気を鼓舞し、戦勝祝いとして士族は入来楽、庶民は門(かど)の組織があり、別名名頭(ミョウツ)とも呼び、その名頭の下に五戸位の名子がいて主従のかかわりが出来、この者達で地区の特色を生かして踊られたものと云われます。
 戦前は、各集落が集まって三組の踊りが出来ていましたが、大戦後は人口も減少し踊り子の確保が出来ず、ついに他の踊りは現在休止となっています。山下集落だけは保存会も結成され高校生・中学生の教養の一端として協力して無形文化財としても認められ 先人達の組み立てた踊りを、変化することなく古典楽として郷土の宝として伝えていきます。
 今回、お話をして頂きました末広会長には、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
 (写真は「山下太鼓踊り」(2011年8月撮影)と諏訪神社です)
                        

扇寿堂
                       senjudou

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