姶良郡蒲生町米丸集落に伝わります「米丸兵児踊り」について、公民館館長の福元道弘様にお聞きすることが出来ました。
 「米丸兵児踊り」について、『蒲生兵児』(野添操・昭和2年)には、兵児(へこ)及び兵児踊りの由来が次のように記されている。「島津義弘公が薩兵をひきいて朝鮮に出兵したとき、蒲生・大口・出水・国分の軍勢が抜群の功を得た。この壮挙を永遠に記念するために、この4ヶ郷の兵児どもは互いに交際して武勇を子孫に語り伝えとの仰せがあった。然らば名をと乞うたところ、兵を子孫に伝えるのであるから児という字を加えたらよかろうとのことで、兵児(へこ)の呼び方が起った」という。以来、兵児の間に深い交流が行われました。
 兵児踊りは、蒲生兵児(かもうへこ)が出水に赴くさまを取り入れたものと伝承します。しかし、米丸に伝承されたものは、大正7年ごろ現在の祁答院町(けどういんちょう)大村地区で踊っていたものが、姶良町旧山田村木津志に伝えられ、更に柊野地区に踊り継がれ、米丸の踊りに取り入れられたものと云われています。
 「米丸兵児踊り」の人数は25人から30人くらいです。用具は、拍子木1組・太鼓1・木太刀・太刀飾。服装は、しゅろ皮のカツラ・わらじ・シュロ作りの脚絆・浴衣・色たすき・腰下げ・紅化粧です。
 踊りは「ヤーホイ・ヤーホイ・ヤアホイ・ホイ・ホイ・ソゥラ」の掛け声と「トン・トン・トン」の太鼓の音、「キャッ・キャッ」の拍子木の音を2回、3回繰り返して円陣を作りながら踊って回ります。間にセリフも入りながら、以上を数回繰り返して踊ります。
 豪放で、頭を振り 体を振り足を上げて大仰に跳ね飛ぶ。しかも、ユーモラスで南国の明るさが感じ取れる踊りです。(「蒲生郷土史」より)
 「米丸兵児踊り」は、開催日については決まってはいませんが 町の主催するイベント等又、農業祭に参加しています。
 今回、資料とお話をして頂きました福元さんには、本当にありがとうございます。今後とも、よろしくお願いします。
 (写真は「米丸兵児踊り」です。2011年5月に撮影)                       

扇寿堂
                      senjudou

 
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