鹿児島市犬迫地区に伝わります「犬迫の棒踊り」について、保存会会長の稲葉茂成様にお聞きすることができました。
 「犬迫の棒踊り」は、踊りの起源に関するいわれは特にありません。甲突川(鹿児島市の真ん中を流れる)をはさんで向こう側とこちら側では、歌や踊りに違いがあると思います。こちら側は、南薩に至るまでだいたい歌は同じであると思われます。昭和初期までは、前荒磯と後荒磯が別々に踊っていました(踊りは同じもの)。最初に合併で踊ったのは昭和5、6年頃からです。昭和10年頃から1、2回しか踊ったことがなく中断していました。昭和49年に復活の話がでてトントン拍子に話がすすみ、5月26日の犬迫農協落成記念に復活しました。
 その後、犬迫小学校で生徒達にも踊らせたらという話も出ましたが、踊りを外部に出すことについて意見がまとまらず実現しませんでした。しかし、昨年(平成19年)犬迫小学校の生徒に棒踊りを教え「犬迫小学校棒踊り」としてスタートしました。
 「犬迫の棒踊り」の踊りの種類は、(1)六尺棒と三尺棒・6人1組2列 (2)三尺棒とカマ・6人1組3列(中がカマ) (3)手拍子です。
(3)は、まず手だけのおどけた振りで相手をけなすような仕草をし、相手になるなら来い来いとさそいこみ、その後は(2)の踊りと同じになる。昔は(1)(2)(3)の順に踊っていましたが昭和49年に(3)をのぞいて復活しました。歌は現在 ア、おせろが山は…  イ、霧島の松は… の2種類唄われています。
 服装は、タスキは、昔はモスの花柄の派手なものを1人2本使用したが、今は普通の花柄の布地を1人1本使用する。博多帯の上に
刀を差すための帯をする。ユカタは、昔は各自思い思いのものを着ていたが、今は白いユカタに統一。ハチマキは白で、頭の両側にツノをたてます。そして、黒い靴下・白足袋・わらじ・色柄の手甲をつけます。
 今回、詳しい資料とお話をして頂きました稲葉会長には、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
 (写真は「犬迫小学校棒踊り」の皆さんです)
                      

扇寿堂
                     senjudou

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