重久太鼓踊り (鹿児島県霧島市国分)
霧島市国分(旧国分市)の重久集落に伝わります「重久太鼓踊り」(市指定無形文化財)について、保存会の岩元国雄様にお聞きすることができました。
「重久太鼓踊り」は、慶長2年(1597年)朝鮮出兵のとき島津義弘公が薩摩藩三州のつわものどもを引き連れて出陣し、その出陣武士の士気を鼓舞する為に、鉦や太鼓で出兵を励ましたものと云われています。凱旋後島津義弘公親子が真っ先に訪問されたのは、長兄の島津義久公の居城、富隈城(霧島市隼人町住吉)であったと伝えられています。国分を中心とした加治木・栗野の周辺の将兵が馳せ参じた関係から、この太鼓踊りが重久その他の地域に継承されてきました。国分を中心とした踊りの特徴は、士気高揚の太鼓踊りとして 特に重久の踊りは、攻撃的な攻めの態勢を型取った太鼓踊りとなっており、他地区の踊りとちょっと異なった点もあります。
この太鼓踊りは、三百五十年来この地に伝承され、重久のみ巌然と昔の姿そのままに文化財として保存伝承されていることは地域の誇りでもあります。勇壮にして優雅なこの太鼓踊りを永久に保持伝承するために、昭和32年11月に「重久太鼓踊り」保存会を結成し現在に至っています。
昔は、神社仏閣の祝賀、あるいは雨乞い祈願祭等に奉納されてきましたが、今は、少なくとも年一回は踊ることにし、止上神社の例祭や東襲山地区運動会に参加しています。
太鼓踊りの種類には、馬場上げ・庭踊り・馬攻め等があります。馬場上げは、進撃の型を踊りに表現したもので、陣頭の幣振りは、士気を鼓舞するための軍配に代わる幣を振り 進撃を指揮するものです。庭踊りは、敵を捜し得て包囲した態勢そして攻撃の態勢を整えた様子。馬攻めは、馬上の敵を攻める姿の様子です。
今回は、いろいろ詳しい資料を頂き そして、お話しして頂きました岩元さんには、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
(写真は「重久太鼓踊り」です)
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