鹿児島の南九州市知覧町菊永集落に伝わります「菊永鎌手踊り」について、保存会の菊永和一様にお聞きすることができました。
 この「菊永鎌手踊り」は、早くに母を亡くした姉妹が父の田植えの手助けをするとき、運悪くそこを通りかかった武士の袴に泥をはねてしまい、それを見た父親がひたすら許しを乞うたが、怒った武士は聞き入れず、父親はその場で武士に斬られてしまいました。武士の名は、伊達藩片倉家の志賀団七というものでした。
それから、江戸の由比正雪の下女中となり姉は薙刀、妹は鎖鎌を苦節六年半余りの鍛錬の後、由比正雪の後ろ盾であだ討ちを果たすことができました。この姉妹の、あだ討ちの様子を踊りとして表現したのが「鎌手踊り」だと伝えられています。
 鎌手踊り発祥の地は、南さつま市金峰町(旧日置郡金峰町)といわれています。その金峰町より町内の上別府に伝わり、そこから大正時代に三人の師匠が来て伝授されたのが「菊永鎌手踊り」の始まりだといわれて言います。それから、先輩の人達が大切に守り伝えてきた、この勇壮な踊りを継続しなければと想い集落の皆さんに呼びかて、昭和五十一年に保存会として復活しました。
 この踊りは、二列縦隊で 先頭に「菊永鎌手踊り」と書かれたのぼりを立てて鎌手踊りの唄を唄いながら前進し、棒突き後、鎌と長刀を四人で切り合わせ、計24人で踊り再び二列縦隊で唄いながら退場します。
 毎年、集落運動会(敬老会)には必ず踊られます。また、文化祭や各イベント等にも踊られます。
 今回は、詳しい資料も頂きましてお話をして頂きました、菊永さんには本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
 (写真は保存会の皆さんです…ピントが悪くすみません。赤いふさの棒が突き棒です。)
                      

扇寿堂
                     senjudou

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