鹿児島県鹿屋市川東町に二百五十年ほど前から伝わっている「八月口説踊り」(はちがつくどきおどり)について保存会会長の新地長友様よりお話をお聞きすることが出来ました。
 優雅な中にもどこか哀調を帯びたこの踊りは、全部で十二種類でしたが、現在では6曲が地元川東地区の保存会の人たちに受け継がれています。
 この踊りの由来は1753年(宝暦3年)笹柴を積み重ねて和田井堰をつくり、これから白崎町・新川町・川東町を経て隣接の肝属郡吾平町に注ぐ長い水路が完成しました。このことを喜んだ地域の住民たちは、用水路のかたわらに石の祠を造立して水神を祀り神への感謝と豊作を祈願して、この踊りを奉納するようになったと言い伝えられています。今日でも旧暦8月28日神宮宅での出発祭を終えてから、川東町鶴田池水神・光同寺水神・川北水神・和田堰水神へ踊りを奉納されます。中でも和田堰で行われる水神祭は「王子町の鉦踊り」(このブログで8月16日に紹介)なども奉納されて大きな賑わいを見せます。
 踊りの構成は、神官・神旗持・神木持・太鼓・鉦・拍子木・三味線役各一人、歌い手三人(一人は神官)及び踊り手16人の合計25人からなります。
 出演の男子は、神官姿の1人を除いて他は皆、黒紋付姿に黒足袋、草履をはき編笠をかぶります。踊り手の女子は裾模様の黒紋付の着物に丸帯をしめ、白足袋・白草履をはきオコソ頭巾をかぶります。
 曲数は、現在6曲ですが通常は「五尺ひょっこ」「淀の川瀬」「おはら慢女」の3曲が歌われます。いずれも哀調を帯びた歌です。この歌には、用水路工事に参加した琉球人の望郷の想いが込められているといわれています。また、これに類似する歌が、沖永良部島・徳之島・喜界島にあることから、琉球貿易の港として栄えていた波見港(肝属郡高山町)を通じて伝来したとも言われています。
 今回、いろいろな詳しい資料を頂きました新地様には、本当にありがとうございました。今後も、よろしくお願いします。
(写真は水神様と八月口説踊りと水神奉納祭です)
                       

扇寿堂
                      senjudou

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