先日、西別府集落(鹿児島県加冶木町)に伝わる「西別府太鼓踊り」について西別府吉左右太鼓踊り保存会の中森ハルシ様よりお話を伺うことが出来ました。
 従来加冶木町の太鼓踊りは、各大字ごとに行われてきました。踊りは、だいたい各字とも同じですが、西別府集落を中心に広まって行ったようです。
 西別府太鼓踊りは、これを分けると いわゆる太鼓踊りと吉左右踊り(きそおどり)の二つに分けられます。吉左右踊りは一種の棒踊りで、太鼓踊りと密接なつながりがあって、太鼓踊りの一役を買って先駆けをなしているといっていいでしょう。この、吉左右踊りはめでたい踊りで、太鼓踊りの一齣であるとしたほうが良いと思います。吉左右踊りは、西別府集落のみに伝わっています。
 太鼓踊りの由来は、慶長二年 太閤秀吉は再度朝鮮に兵を出し島津義弘も出陣しました。同三年九月泗川の戦いでは明の大軍を破り、大いに功を立てて凱旋しました。しかし、ときに秀吉すでに亡く、天下の実権は徳川家康に移っていきました。その当時、江戸でコレラが大流行し、次々と広がっていきました。たまたま、駿河の弥仏踊り(念仏踊りともいう)が町中練り歩いたところ下火になって終息しました。これを聞いた義弘は、その功徳に驚くとともに朝鮮の凱旋記念として藩内のものに見せたいと考えました。それで、六月六日付のブログで書きましたように、二人の家臣に踊りを習わせ、更に義弘の意をくみ演出振り付けを工夫して広まりました。
 現在太鼓踊りを行っている地区は、反土.木田.西別府.小山田の四地区で、毎年 盂蘭盆(うらぼん)の翌日八月十六日に行い、春日神社を皮切りに仮屋馬場の打ち上げ庭踊り、精矛神社(くわしほこ神社).諏訪神社.菅原神社の順で行われます。そして国や町の特別の祝いには余興として行うようにしています。
 今回、本当に詳しい資料まで頂きました中森様には大変感謝します。ありがとうございした。今後とも一生懸命頑張ります。
(写真は「太鼓踊り」「春日神社」「精矛神社」です)
                         

扇寿堂
                       senjudou

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