えびの市栗下集落に伝わります「栗下兵児踊り」と「栗下輪太鼓踊り」について、保存会会長の有村静夫様にお聞きすることが出来ました。栗下兵児踊りと栗下輪太鼓踊りは、昭和51年8月に併せて栗下郷土芸能保存会となりました。
 「栗下兵児踊り」と「栗下輪太鼓踊り」は、毎年9月23日の金松法然祭に一年毎に交互に金松法然に奉納して、近くの馬頭観音の広場で踊られます。2009年は栗下輪太鼓踊りが奉納されました。
 「栗下兵児踊り」の由来は、出水(鹿児島県)の領主薩州島津家の断絶後、四方にちりぢりになった家来たちがお盆に旧領主の霊前に詣でて踊り始めたものと言い伝えられています。「栗下輪太鼓踊り」は、島津義弘公が朝鮮出陣のとき兵の士気を高めるために踊ったと云われています。
 戦後途絶えていた兵児踊りは昭和27年に復活しましたが、2〜3年でまた休止しました。その後、昭和45年に再復活されて現在に至っています。輪太鼓踊りは、昭和51年に復活して5年後くらいから金松法然祭に交互に奉納されるようになりました。
 ここで、金松法然について説明します。金松法然様はどこから来られた方か知る人はいないが、いつの間にか栗下区に住み着かれた坊様であるそうです。この坊様は、大変な焼酎好きで「ほうのきく」霊験あらたかな坊様で村人の苦難や危機を救うて下さいましたが、安永六年(1777年)九月二十三日往生されました。区民は、その徳を慕いてその霊位を金松墓地(現在地)に安置されたそうです。法然様は、死の直前に「私が死んだら焼酎を供えて一つの願を立てろ、必ずかなえてやる。一度に二つ以上の願はかなわんぞ。」と遺言され目を閉じられたと伝えられています。
 その後、法然様は「金松法然」または「焼酎法然」ともいわれて今でもみんなが、その徳を慕いています。(えびの市 現地案内板より)
 今回、お話して頂きました有村会長には、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
 (写真は「兵児踊り」「輪太鼓踊り」と金松法然・馬頭観音広場です)
                              

扇寿堂
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