枕崎市田中集落に伝わります「田中馬方踊り」について、保存会の宮路益雄様にお聞きすることが出来ました。
 「田中馬方踊り」は、今からおよそ650年ほど前の南北朝の頃、岩尾崎の硫黄山岩崎寺に、いずこからともなく七人の侍が住み着きました。その中に、進之烝と名乗る身なりの卑しい若侍がいました。進之烝は、昼間は水汲みや風呂焚きなど下僕の仕事をしていたが、夜になると見違えるような若武者となって浜辺で横笛を吹くのでありました。あまりにも美しい音色に土地の豪族の田中氏一族の娘が、夜毎浜辺に出て笛の音を聞くうちに、進之烝と相愛の仲となってやがて二人は結ばれて二人の間に女の子が生まれました。
 女の子は三歳の時に、重い疱瘡の病にかかり、二人は子供の病い治療祈願のために馬を仕立ててお伊勢詣りをすることとなりました。
 馬方踊りは、お伊勢さまに祈願する道中での様子を、劇風に仕組んだものと云われています。
 横笛を吹く若侍は、幼名を阿新丸(くまわかまる)と名乗り、十二歳のときに一人で佐渡に渡り、島に流されて殺された父の仇を討った「日野中納言邦光卿」でありました。南朝に仕える高貴な身分の方で、二十二歳で西征将軍の懐良親王(かねながしんのう)の副将軍として谷山城に使えましたが、勅勘を受けて六人の共侍を連れて岩崎寺に移り住まれました。ほどなく勅勘も許されて帰京されましたが、残された男の子は田中氏を継ぎ、土地の豪族として長きに渡り岩崎寺一帯を支配しました。
 今に伝わる「田中馬方踊り」は、真言宗一乗院の直末寺として繁栄した硫黄山岩崎寺を中心にして、今日まで唄い踊り継がれてきたものであると云われています。
 開催日については、特に決まってはいませんが、文化祭・各イベント等に踊られます。昔は岩崎寺に奉納して踊っていましたが、現在は行われていません。
 今回、お話をして頂きました宮路さんには、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
  (写真は「田中馬方踊り」と岩崎寺跡です)
                       

扇寿堂
                      senjudou

 
 
 
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