今回は、指宿市下門集落に伝わります「猿の子踊り」(市指定無形民俗文化財)について、保存会の枝田富雄様にお聞きすることができました。
 下門地区は、指宿市から北西約16Kmの距離に位置するところにあり純農村地帯です。
 猿の子踊りの由来は、今からおよそ264年前延享元年(1744年)今和泉島津家 島津忠郷が日向の国の青島に遊んだとき、旅芸人の猿使いの芸をみて非常に感心したといいます。その猿使いの芸人を領内に招き住まわせ、多くの猿を飼いならさせ芸を仕込んで毎年春と秋の2回、この猿芸を領民にみせました。そして、かねての苦労をねぎらい、あわせて働かないものは食にありつけないという教訓として永く後世に伝えたのが現在の「猿の子踊り」であります。
 踊る時期や場所は一定していませんが、春秋の各イベントに参加して踊り、玖珏神社(くだまじんしゃ)に奉納します。
 この踊りは、庭の中央に竹を2本立てて、餅や菓子等を餅花のように飾り、この両側に二人の白装束の太夫(猿使い)が立ちます。二人は、白足袋草履ばきで右手に扇子、左手に御幣を持っています。親猿は、赤頭巾に赤い上着とズボンといういでたちで黒足袋を履き、顔は赤く化粧します。楽器は、笛・鉦・太鼓を使い唄はなく猿使いの台詞にたいして猿が芸をします。
 猿使いの命令にしたがって親猿・子猿が入り乱れて様々な芸をしますが、その特異な扮装と奇妙な動作が整然と続けられるところは実に見事なものです。
 太夫は、猿使いの厳しい装束に芝居調の台詞が面白く、猿は小学生から3〜4才の子供まで各々独特の妙技を発揮します。台詞や妙技が太鼓・笛・鉦と調和しなんとも言えない美しいものです。
 この「猿の子踊り」は、唄のない鳴り物だけの調子に合わせて踊る動物ものの踊りとしては、珍しいものであります。
 枝田さんには、お忙しいなかいろいろお話していただき本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
 (写真は、「猿の子踊り」と玖珏神社です)
                      

扇寿堂
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