先日、日置市吹上町宮内集落に伝わります 県指定無形民俗文化財の「吹上町の流鏑馬」(大汝牟遅神社の流鏑馬)について保存会の飛田尚文様にお聞きすることができました。
 吹上の流鏑馬が記録として出てくるのは天文7年(1538年)の頃からです。その時の領主島津忠良は、加世田城攻めの戦勝を祈って氏神である小牧の諏訪神社に流鏑馬を奉納することを祈願し、加世田城攻略がなった後は毎年奉納されていましたが、およそ百年後の寛永の頃、現在の大汝牟遅神社(おおなむち神社)に移して行われるようになったと伝えられています。
 流鏑馬は、以前は大汝牟遅神社秋の大祭日である11月25日に神社前の馬場で行われていましたが、今は直近の祝日の23日に行われるようになりました。流鏑馬が行われる馬場は、直線で約200mその間に40m間隔で平木板6枚を組み合わせた的3本が置かれます。服装は、狩衣に小手、行縢(むかばき)をつけ、弓に矢5筋を箙(えびら)で背負い、頭に綾藺笠(あやいがさ)を着用し、乗馬は昔のままの和鞍姿です。
 馬駆けは、別当2人が口取りして馬駆けの位置まで行き、馬が駆ける前に1人の別当が駆け足で道を祓い、前方に達した頃を見計らって射手が駆け、後1人の別当は矢を拾って後を追います。
馬駆けの1回目は、馬の性質を見るために騎手は弓矢を手にして手綱を取ったまま駆け、別当2人が口取りして元の位置まで帰ります。2度目から手綱は馬具に取り付け弓矢を手にして一的、二的、三的と次々に矢を放ち、これを3回、4回とも繰り返して終わります。的に矢が当たるごとに歓声があがり、的の平木は魔よけとして家に持ち帰っています。
(伊作流鏑馬保存会・日置市教育委員会社会教育課資料より)
 今回、いろいろ詳しい資料と共にお話していただきました飛田さんには、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
 (写真は、流鏑馬と大汝牟遅神社です)
                       

扇寿堂
                      senjudou

  
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