前回お話しました-鈴かけ馬おどり-「初午祭」には、起源として二つの説があるそうです。
1、霊夢説
 室町時代、宮内においでになった島津貴久公が、休んでおられるとき、ふしぎな夢を見られました。枕元に観音様が現れて「自分は馬頭観音である。長い間ここにいるがだれも顧みてくれるものがない。お堂を建てて私を祭ってくれないか、そうしたらこの国の守護神になり、末永く守ってやる」といってスーッと消えてしまいました。
 あくる朝、この話を宿元の神官に話すと、「私も同じ夢を見た」と言う。ちょうどそこへ神宮近くの日秀上人という偉い坊さんが碁を打ちにやってきて、「その夢なら私も見た」という。三人が三人とも同じ夢を見た。「これはきっと観音様の有り難いお告げに違いない。」ということで、獅子尾丘に正福院観音堂を建て日頃愛用した碁盤を材として観音像をつくり、お祭りするようになりました。
 それからは、夢を見たその日、旧暦一月十八日を縁日と定め、たくさんの馬をお堂にお参りに引いていくようになり、きれいに飾りたてた鈴かけ馬をおどらしたのが始まりだといわれています。
2つめは、御神馬奉納説
 神宮のお祭りに使われる馬(御神馬)を預かって飼っていた加治木町木田の人々が成長した馬を神宮におさめに参っていたのがしだいに馬おどりに変わったという説
    (以上、隼人町商工観光課 隼人町民芸保存会冊子より)
よくある、祭りは 傘、笠、太鼓、刀などを使うのが多いのですが、この「初午祭」は馬が主役です。大勢の方が楽しみにしてるので、県内外から20〜30万人の方が来られるそうです。