薩摩郡さつま町中津川別野集落に伝わります「別野虚無僧踊り」について、保存会の半崎良和様にお聞きすることができました。
 「別野虚無僧踊り」は、大正5年頃楠元太左衛門氏・楠原倉助氏によって別野に広められました。川内方面より取り入れられ、若い女性達がいろんな場所で踊るようになりました。昭和時代に入っても、古里サヲさん・楠原アキノさん・神馬場オツ子さんたちが踊り伝え金吾様(大石神社)にも奉納されながら今日に至っています。毎年9月18日に近い日曜日に金吾様(大石神社)に奉納します。昭和54年には、中津川民芸保存会で保存民芸に指定されました。大石神社が金吾様と呼ばれるのは、この地を治めていた島津歳久公が「島津金吾左衛門尉歳久」といわれ大石神社に祀られているからです。
 虚無僧踊りは、尺八で敵と激しく打ち合う様子を表している踊りと云われています。また、虚無僧に変装した若者が仇討ちを遂げて、妻と喜んで踊った踊りとも云われています。
 踊りの体形は、激しく打ち合う棒踊り形と打ち合いをなくした手踊り形とがあります。棒踊り形は、薩摩半島の中部から大隅半島に、手踊り形は薩摩半島北部に多く残っています。
 音楽は三味線と太鼓だけです。歌がない上に同じ動作が繰り返される一見単調な感じのする踊りであるが、黒と白の衣装の美しさと神秘的な頭巾の組み合わせなど、姿で見せる気品のある踊りであります。
 薩摩町では、別野・中福良・黒島に伝承されています。薩摩町以外でも各地に伝わっていますが、特に川内川流域に広く残っている芸能であります。
 「別野虚無僧踊り」は、別野で昔から踊り継がれてきています。4人1組で次々に踊り始める手踊り形の優しい品格のある芸能です。男役は、尺八を水平に持ち、手を左右に泳がせながら招くような振りで踊ります。この踊りの後には、「はんや節」や「おはら節」などを添えて踊る慣わしで芸達者なところを見せています。
 今回、詳しいお話をして頂きました半崎さんには、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
 (写真は昔の「別野虚無僧踊り」と大石神社(金吾様)です)
                         

扇寿堂
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