垂水市大野集落に伝わります「大野棒踊り」について保存会の松元正美様にお聞きすることが出来ました。
 この「大野棒踊り」は、今から400年前 関ヶ原の合戦に敗れた島津義弘公が、郷土の意気消沈した郷土の士気を鼓舞するため武芸の技を踊りに加えたものであり、江戸時代になり元禄時代を過ぎると武士の踊りから農民の田植え踊りにかわり、国分隼人の鹿児島神宮のお田植え祭りに奉納されるようになり広く県下で踊るようになったといわれます。
 10月20日のブログにも書きましたが県下の棒踊りの起源は、だいたい同じようです。それから、時代とともに伝わりながら各地の棒踊りの違いが出てきたようです。
 その後、長い間中断期間を経て大正の初期「川原八十」という人が薩摩半島から棒踊りを持ち帰り井川新光寺に伝えたものです。(10月20日のブログ「井川の棒踊り」を見て下さい)
 
 大正3年1月12日。桜島大噴火のため、大野原集落に各地(桜島・海潟・水之上など)から移住され、木を切り鍬で開墾して苦難と来られました。その当時、住民一同が疲れている様子に、井川から移住された 中村源三氏が、士気を鼓舞しようと大野原青年団に教えられたのが始まりです。
 毎年、大羽重(おおばえ)神社に奉納されますが、昨年(平成18年)は、台風の被害で中止になりました。
 今回は、詳しいお話をして頂いた松元様と保存会会長の内田勝己様には、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
     (写真は「大野棒踊り」と大羽重神社です。)
                       

扇寿堂
                      senjudou

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