伊佐市菱刈下手(しもで)地区に伝わります「下手錫杖踊」(県指定無形民俗文化財)について保存会会長の黒木一夫様にお聞きすることが出来ました。尚、保存会は錫杖踊下手保存会です。
 「下手錫杖踊」は三年に一度、11月28日水天神社祭の後に豊作と牛馬の安全を祈願して奉納されます。この地区には、三つの芸能(錫杖踊・三尺棒踊・鎌手踊)があり、三年交替で奉納されます。2011年(平成23年)は,三尺棒踊が踊られるそうです。
 下手錫杖踊の由来は、今から440年以上前の永禄12年(1569年)に島津義弘公は北薩地方を治める菱刈氏を征伐する為出陣しましたが、菱刈孝秋は大口城に籠り三年間抵抗しました。
その間、再三降伏の使者を立てましたがいずれも失敗しました。その時、盛良法師が使僧に立ち、その偉容怪異・壕胆無双に さすがの孝秋も説得され降伏しました。義弘公は大いに喜び盛良法師を黒板寺の住職に取り立てました。また、大口城が陥ちるように島津の本陣がある下手村の水天神社に祈願をしたところ、両三日の内に陥ちたので義弘公は喜ばれて社殿建立を寄進されました。この島津氏戦勝奉賛と社殿建造寄進の大祭典の時、大功のあった黒板寺の住職 盛良法師が「錫杖踊」を創案して奉納したと云われています。
ちなみに、黒板寺は 源頼朝の父源義朝の菩提のため一国一寺を創設し、建久6年(1195年)大隅の国では菱刈郷下手村に建立されました。
 下手錫杖踊は、昔 氏子や門徒の和合や慰安の一つとして錫杖の音を伴奏におもしろく、おかしく演技し、兵馬争乱の世に士気を鼓舞する為に2列隊列で左手に毛刀、右手に錫杖を持ち武術の型を取り入れ舞踊したものです。
 今後とも、高齢化が進み人手不足もあるが地区の芸能を継承していきたいとお話されていました。 
 今回、お話して頂きました黒木会長には、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
 (写真は「下手錫杖踊」と水天神社です。)
                                 

扇寿堂
                                senjudou

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