薩摩川内市中村集落に伝わります「戸田観音棒踊り」について保存会会長の小牧初美様にお聞きすることが出来ました。
 「戸田観音棒踊り」は、毎年7月18日に近い日曜日に安全と豊作を祈願して戸田観音に奉納されます。
この棒踊りが、いつ頃始まったか定かではありませんが、従前は毎年行われていました。しかし、第二次大戦のときに一時中断していたものを昭和23年と25年に2回奉納してから永く中断していました。しかし、このままでは途絶えてしまうということになり、青壮年を中心に何とか復活しようということで「 戸田観音棒踊り保存会」を結成し、昭和52年に27年ぶりに復活しました。
 由来は、まず戸田観音の由来から始まります。1459年宮之城第9代城主渋谷氏のお姫様が舟遊びをしているとき誤って川に落ち、急流にのまれ、これを助けようとした7人の侍女も次々に溺死しました。7人の侍女の遺体は発見されましたが、お姫様だけは見つかりませんでした。数日後、姫の遺体は はるか下流の中村町の観音渕で発見されました。宮之城城主渋谷氏は姫の死を悲しみ縁あって遺体の上がったこの地に観音像を刻み、その足下に姫を川に引き込んだカッパをこらしめるためにカッパの像を置くことにして姫の霊を慰めました。これが戸田観音の起こりです。その後、地域住民は この観音を水難よけ、或いは無病息災、安産又は馬頭観音としてあがめ、旧暦6月18日に豊作祈願をかねて例祭を行い、農村慰安として棒踊りが行われるようになりました。尚、同観音には、ガラッパ(カッパのこと)の木像が安置してあります。
 戸田観音棒踊りは、かすりにたすき掛け、手には六尺棒を持ち「オオセエエロオオ」の唄に合せ、「イヤ、サッサッ」と打ち合い、地を突く勇壮な踊りです。
そして今後、過疎化が進むこの地区にあって踊り子の減少などの問題があり、この由来のある戸田観音棒踊りを失うことは忍びないということになり、平佐東小学校校区の子供達に伝統行事として継承してもらうことにもなりました。
 今回、お話をして頂きました小牧会長には、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
 (「戸田観音棒踊り」と会員の皆さん、戸田観音です。写真がボケてます)
                                

扇寿堂 
                               senjudou

 
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