南九州市川辺町中山田集落に伝わります「中山田太鼓踊り」について、保存会会長の深町義之様にお聞きすることが出来ました。
 「中山田太鼓踊り」は、約400年前の文禄・慶長年間に豊臣秀吉公の命により島津義弘公が朝鮮出兵の際、勝目城(中山田)から出陣した兵士が、その戦いに勝利し帰陣したおりの凱旋の祝賀踊りが、中山田太鼓踊りの起源とされています。
 山田郷(勝目城のあった)の領域は、内山田(加世田)・外山田(旧勝目村)を有して山田郷と呼び、山田郷に伝わる太鼓踊りは通称を方祭踊り(ホゼオドリ)と言い、竹屋神社の豊年祭(旧10月19日)に奉納されてきたと言われています。上山田・下山田・中山田と交互に、だいたい4年に一回奉納されてきました(災害があった時には行われません)。戦争中に一時中止になりましたが昭和58年まで行われていました。それから、15年間断絶し踊り継ぎがなされない状態でしたが、平成10年に復活し平成15年(2003年)、平成20年(2008年)に奉納されました。現在は、10月19日に近い日曜日に行われます。
 この踊りは、従軍した兵士の出陣・帰陣・凱旋の三つの踊りから成り立っています。
 出陣は上山田の踊りで、先頭に色紙で縁取りした菅笠をわらを振り、次に先口(歌い手)、中入り、背中に槍・なぎなたを背負った太鼓が続き、勇壮に踊る特徴があります。
 帰陣は下山田の踊りで、先口(歌い手)、次に中入り、背中に刃こぼれした槍・なぎなたを背負った太鼓が続き、戦いのすさまじさを表現した踊りです。
 中山田の踊りは、出兵兵士の凱旋を祝う踊りで、先頭に色紙で縁取りした菅笠を覆った露払い役のワラ振り、次に紋付・衿袋の先口(歌い手)、その後に豪華な飾り付けをした笠を覆って腰にダテ帯に色物ハンカチを付けた太鼓が祝宴を盛り上げる雰囲気で優雅に踊る特徴があります。
 尚、踊り場に入場する際の踊り(ヂャヂャンコ)は勇壮にして、退場する際の踊り(モドリ鉦)は、見物人に謝意を表した典型的な踊りとなっています。
 今回、お話をして頂きました深町会長には、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
(写真は「中山田太鼓踊り」(写りが悪くすみません)と竹屋神社です)
                     

扇寿堂
                    senjudou

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