南さつま市大浦町の平原・永田・上之門集落に伝わります「疱瘡踊り」(県指定無形民俗文化財)について、保存会の上坪重彦様にお聞きすることが出来ました。
 医療の進んでいなかった時代、悪疫といわれるものが一度はやりだすと手のつけられない状態になったのであろう。疱瘡やコレラにより、一村が壊滅したという記録は各地に伝えられています。恐怖のあまり村を捨てたり、また患者もろとも住居を焼き払ったり、生きながらに埋めたというのも、いかに疫病が恐ろしいものであったかを物語っています。
 「疱瘡踊り」の由来は、榊からオイキ山に抜ける小径沿いの寂しい山の中に、疱瘡で死んだ人の墓がありますが、土地の人は疱瘡墓と呼んでいます。疱瘡で死んだため共同墓地に埋葬するのを拒まれたか、遺族が遠慮したのか、どちらかであれ哀れであります。人々はこのようなとき、人力の及ばないことからひたすら神仏に加護を求め、悪疫の終息を願うしかその術を知りませんでした。これが、「疱瘡踊り」の起源と云われています。
 毎年2月11日をお伊勢講の日と定め、その日の祭りの中で悪疫の退散・軽微で治癒することを祈願して踊られます。
 「トントントントントン」と鳴る単調な小太鼓のリズムに合わせた唄の中に優雅な「さんさ振れ」や「五代町」の踊り、また踊りの締めくくりの伊勢参りの旦那と馬子の道中掛け合いの小芝居などは、農閑期の冬の一日を村じゅう和やかに包み込んでくれるものです。
 近年では、踊り手不足により平原・永田・上之門などに限られた集落で伝統芸能として維持保存されています。
 このお伊勢講が終わると、翌日からは春耕の仕事が段取りされます。この疱瘡踊りは、農耕の神への豊作祈願の意味もあったのでしょう。
 今回、お話して頂きました上坪さんには、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
  (写真は「疱瘡踊り」です)
                     

扇寿堂
                    senjudou

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