南さつま市加世田益山集落に伝わります「益山太鼓踊り」について、保存会会長の諏訪昌一様にお聞きすることが出来ました。
 「益山太鼓踊り」は、島津日新公(じっしんこう)が加世田別府城を攻め落としたことを祝って、益山の民に踊らせたのが始まりと云われています。また一説には、豊臣秀吉の朝鮮半島出兵の際、島津藩からたくさんの兵士が朝鮮半島に渡りました。当時は武士だけでは足りず多くの農民を徴兵したという記録もあり、負け戦で帰ってきた兵士を慰めるために踊られたとも云われています。それ以来、毎年旧暦7月24日(新暦になってからは8月24日)におヤツ様(昔あった神社の名前)・諏訪神社(八幡神社に合祀)・八幡神社に踊りを奉納していました。明治末期まで続きましたが、明治天皇の崩御で中止になりました。以後は、祝辞の時に踊られた程度でした。
 戦後すぐ復活させようとの動きもありましたが、なかなかうまくいかなかったということです。そして昭和42年、益山小学校におられた米丸・立山両先生がスポーツ少年団に踊ってもらって復活のきっかけを作りました。昭和44年までは学生、45年からは青年学級を中心に踊られました。その後、故上村佐成(さなえ)さんの尽力で青年を中心に定着し、現在に至っています。
 現在開催は、毎年7月24日に近い土曜日か日曜日に八幡神社の六月燈をして奉納しています。
 この踊りは、残念ながら「ちょうちん」という踊りだけが伝承されていません。また近年、後継者対策が大きな課題でありますが、数年に1回小学生に参加を呼びかけて高校を卒業するまでは踊ってもらっています。しかし、卒業後は進路の関係で不参加がほとんどです。
 今回、お話して頂きました諏訪さんには、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
 (写真は「益山太鼓踊り」と八幡神社です)
                      

扇寿堂
                     senjudou

 
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