霧島市国分敷根に伝わります「敷根琉球人踊り」(市指定無形民俗文化財)について、保存会の猿渡シズ子様にお聞きすることが出来ました。
 「敷根琉球人踊り」は、今から約400年前 慶長14年第18代薩摩藩主島津家久公が、琉球国を攻略したのがきっかけとなり琉球は、それから毎年江戸と島津の殿様に貢物を届けるようになりました。この琉球人踊りは、その時披露した踊りが基礎となっています。その後明治7年頃から、クリ船に乗った琉球人が敷根の浜や、隼人町浜の市に行き来するようになり、琉球人踊りが敷根の浜松に伝わり今日まで受け継がれてきています。
 開催については、敬老会・夏祭り・各イベントなどに参加しています。
 敷根の琉球人踊りは、太鼓・三味線・鉦の伴奏がありますが、この人たちは踊りには加わりません。楽と「サーサヨメヨメ」のハヤシで踊り子が一列で登場。ナギナタや貢物を持った数人を先頭に琉球王が出ます。そのまわりで傘差し(一人)が忙しく動き回ります。この後にうちわを持った踊り子数人が続き、最後に鉦と太鼓が一人づつ続きます。出場し終わったところで、
 王   「皆の者、ここらでひとつ踊りを所望する」
 傘差し 「親方様、琉球踊りをいかがでございましょう」
 王   「それもよかろう、やらかませやらかませ」
 傘差し 「皆の者、琉球踊りをお目にかけなされ」
 王と傘差しと荷物持ちは脇に控えたままで踊りが始まります。
踊りは、①琉球人踊り、②山ちょんちょん、③伊勢音頭(いせもんど)の三つからなり、①が終わると、
 傘差し 「親方様親方様、次は山ちょんちょんをお目にかけます」
 王   「うん、それもよかろう、やらかせませやらかせませ」
という具合にして②・③の踊りが続きます。終わると入場と同じ楽とハヤシで退場します。
 今回、お話して頂きました猿渡さんには、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
(写真は「敷根琉球人踊り」と保存会の皆さんです)…写りが悪いです。
                      

扇寿堂
                     senjudou

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