鹿児島県姶良郡加治木町反土集落に伝わります「反土の太鼓踊り」について、保存会会長の楠本祐司様にお聞きすることができました。加治木町の太鼓踊りは、元々起源を同じにする”太鼓踊り”が4集落に伝わっています。これは、以前にも(2007年6月27日付・8月3日付)このブログで書いております。4つの太鼓踊りとは”西別府の太鼓踊り””木田の太鼓踊り””小山田の太鼓踊り”そして「反土の太鼓踊り」です。
 由来は今から400年ほど前、島津義弘公が朝鮮に出兵し大いに功を立て凱旋しました。その当時、江戸でコレラが大流行し次々と広がっていきました。たまたま、駿河の弥仏踊り(念仏踊りともいう)が町を練り歩いたところコレラが下火になって終息しました。これを聞いた義弘公は、その功徳に驚くとともに朝鮮の凱旋記念として藩内の者に見せたいと考えました。そして、更に義弘公の意をくみ演出振り付けを工夫して広まりました。兵の士気を高めるために踊ったと云われています。さらに、五穀豊穣・無病息災を祈願して踊られます。
 現在、「反土の太鼓踊り」のほか西別府・木田・小山田の太鼓踊りで、毎年 盂蘭盆(うらぼん)の翌日八月十六日に精矛神社(くわしほこ神社)・春日神社に奉納されて仮屋馬場通りで踊られます。
 今回、お話して頂きました楠森会長には、本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
 (写真は「反土の太鼓踊り」と精矛神社(左)・春日神社です)
                      

扇寿堂
                     senjudou

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