久志太鼓踊り (鹿児島県南さつま市坊津町)
南さつま市坊津町久志集落に伝わります「久志太鼓踊り」について保存会の瀬戸六生様にお聞きすることができました。
「久志太鼓踊り」の由来は、はっきりしませんが古老の伝えによりますと、伊作(鹿児島県日置市吹上町)より伝わったということです。 応永12年(1405年)、伊作島津家4代城主の島津久義が田布施郷牟礼ヶ城(現在の金峰町)の城主二階堂行貞を攻め降ろした時の戦略にヒントを得て編み出された戦勝の踊りと伝えられ、伊作島津家10代の城主島津忠良(日新公…じっしんこう)が加世田の別府城を攻め落とした時以来、ひごろ祈願の諏訪神社(現在の南方神社)にこの太鼓踊りを奉納するようになったということです。そして、それより後何年かして久志に伝わったものと思われます。同じ伊作の太鼓踊りでも、各地域によっては 幾分歌や踊りが違っているようですが、「久志の太鼓踊り」も内容的に伊作の太鼓踊りと多少異なるようです。
「久志の太鼓踊り」は田崎組・平尾組・今門組など十四、五の組があり 各集落民入り乱れての組があり、組頭(オッナどん)の世話により踊り子が決められ、毎年旧暦の8月15日に近くの九玉神社に奉納されて踊られます。踊り子については初め、中学生が中心に行われていましたが人口の減少のため現在は、高校生・大学生・一般の方を加えて踊られています。
今回、詳しくお話いただきました瀬戸さんには本当にありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします。
(写真は「久志の太鼓踊り」の皆さんと久志の九玉神社です)
扇寿堂
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