先日、鹿児島市中山町下に伝わる「虚無僧踊り」について保存
会の西 琢磨様にお話をお聞きすることが出来ました。
中山町下とは、大園・直方・福永・平馬場の4集落が集まって呼
ばれています。この中山町下の「虚無僧踊り」は、今から三百数
十年前に豊臣家滅亡の後、豊臣家家臣の有水善右ヱ門いう武士
が、この谷山の地に落ち延びてお家再興を目ざして中山町下の
人々に棒術を教えたのが始まりと云われています。
それから、徳川の時代になりまして、士農工商が確立し 農民は
食うや食わずの苦しい時代になりました。武士に不満を持った農
民たちは、有水善右ヱ門に習った六尺棒を使った棒術を武器とし
て鍛錬しました。そして、幕末になり不穏な空気を抑えるため幕
府の密使が多く入り込んで来ました。あるとき、近くの旧伊作街
道の赤土坂と云う所で、この密使と農民が出会い、かねての反感
もあり ここで双方打ち合いになりました。
虚無僧姿の密使は、初めは扇子であしらっていましたが手に負え
ず、次は尺八で更に、小太刀を抜いて渡り合いついに農民は力尽
きて虚無僧の刀に倒されました。
その時の農民の血が土にしみ込んで赤土坂の土は赤く染まったも
のだと云われています。
この様に、この「虚無僧踊り」は農民と虚無僧の戦いを表してい
ます。毎年七月二十九日に白山神社に奉納されます。そして
昭和38年に鹿児島県の無形文化財に指定されました。
今回は、詳しくお話をして頂きました西様には、本当にありがと
うございました。今後ともよろしくお願いします。
(写真は虚無僧踊りと白山神社です)
                       

扇寿堂
                       senjudou

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