先週、スタッフが鹿児島県日置市伊集院町を訪ねたときその地域の方から「大田の太鼓踊り」を教えてもらいました。早速、保存会の会長の原之園さんから、お話をお聞きしようとしたところ、仕事中でゆっくり話を聞けませんでした。そうしたら、申し訳ない事に太鼓踊りの由来とか写真とか資料を後で送って頂けることになり、すぐに資料が届きました。本当に、ありがとうございました。お送り頂いた資料の中から、由来とか奉納する日など書いてみます。
 大田の太鼓踊りについての正確な由来は不明ですが、今からおよそ三百数十年前のこと、島津の殿様から、農民達の慰安のために何か良い踊りはないかと大田報恩寺の住職に相談があり、この住職の考案によって大田の太鼓踊りが生まれたと伝えられています。この住職は島津公の使者としてたびたび琉球に派遣されたことがあり、この踊りには琉球(あるいは南方)風の振りがとりいれられてると言います。またほかに、これと似たような説があります。やはり三百数十年前のこと、島津の殿様が妙円寺に参詣の折、茶のみ話に農民のためになる何か良い娯楽はないかと住職に尋ねられた。そこで住職は、報恩寺の住職と相談し、大田の庄屋八郎右衛門を呼び、南蛮渡来の鉦踊りを参考にしてつくり上げたのがこの太鼓踊りだとも伝えられています。
 この踊りは昭和十年から二十四年までと昭和三十年から三十七年まで二回中断していますが、昭和三十八年に保存の基礎を固めて復活することになり、それ以来奉納の日も八月七日の七夕祭りの日に改められ現在に至っています。由来によれば、この太鼓踊りは始めは農民の娯楽として作られましたが、後に神明神社に奉納するようになったところをみると、やはり豊作祈願の意味も含まれるようです。
(鹿児島県文化財調査報告書「第十三集」 真鍋隆彦 書)
 お忙しい中、資料をお送りいただきました保存会会長の原之園様のご好意に感謝します。本当にありがとうございました。
 下の写真は「大田太鼓踊り」です。
                       

扇寿堂
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